下北弁のこと

ヒゲなし猫の生活

祖母の友達

祖母は近所のおばあちゃんの事を苗字や名前ではなく「まさや」と呼んでいた。「柾屋」という屋号らしい。昔は屋根を葺く家業だったのか?当時、私はまだ4~5才の子供で大人の話を聞きかじっていただけなので、よくは知らない。
下北弁は津軽弁よりは南部弁に近いが、下北弁スピーカーが聞いている分には津軽弁も南部弁も何となく意味はわかるという微妙な立ち位置の方言だ。

丸い学校の良い子供

小学一年の時、校長先生の特別授業で「知っている方言」を上げてみようと言われ、手を挙げて「あずきでぃろ」(毛虫のこと)と答えた私は「そんな言葉、よく知っていたね。」と驚く校長先生に得意になってしまった。幼少期、祖母の家で過ごしたおかげで、海や川や神社などで近所の子供たちと一緒に遊んでいた私は幼稚園や保育所に通っておらず、小学校に上がる頃にはちょっと変わった子になっていた。
私が通っていた小学校は全国でも珍しい円形の校舎で、大きな円筒形の建物二つを長い渡り廊下が繋いでいた。
中は屋上まで螺旋階段で昇り降り出来て、ドーナツを6等分にしたような形の教室があり、今思うと面白い学校だった。(当時はそれが普通だと思っていた。他の学校を知らなかったから。)

カッパを取る

低学年の頃は同じ住宅地の子達と一緒に登校し、下校は同じ方向に帰る子達と歩いて行った。
ある日、朝方に雨が降ったので長靴をはいていた私達は、下校の時いつもの海沿いの道路ではなく、その下の海の浅瀬を歩いて行くことにした。(今では考えられない、子供って目の前の危険なんて見えないんだな。)
ジャブジャブと水を漕いで行くのが面白くて(ここらでは雪の中も漕いで歩くと言う。)一列になって歩いて行くと、誰かが「うわっ、カッパ取ったじゃ!」と叫んだ。
深みにハマって長靴が浸水したらしい。由来はわからないが、靴の中に水が入って濡れることを「カッパ取る、カッパ釣る」と言っていた。

変換不能!?

フランス語には女性名詞があるが、下北弁には女性だけが使う方言がある。
「しゃあ」というのだが、使う用途によって「しゃっ!」「しゃぁぁぁ」などと変化する。
意味はというと、何というか標準語に変換して表現するのが困難な言葉なのだ。
ある時は感嘆符として、ある時は憤りを表す言葉として、またある時は合いの手として使われる。
昔、仙台の友達の前でついうっかり「しゃあ」と言ってしまい、「え?何?ガンダム?」と聞かれ、説明に窮したことがある。
その子に初めて会った時、青森出身だと言ったら「へぇ、全然訛ってないね。」と言われて気が付いたのが、青森県人は全員津軽弁を話していると思われている!ということだった。
下北、とくに私の生まれ育った大湊地区は自衛隊の基地があり、その関係で全国各地から転校してくる子達がいた。
高学年の頃、京都から来た転校生が隣の席になり、よく話していたせいかイントネーションが関西風になった私は「なんか気持ち悪い。」と地元の友達に言われていた。
こういう土地柄のせいか、下北弁はいろんな方言とフュージョンしてきたのではないだろうか?と私は思っている。

 

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