窓の風景

ヒゲなし猫の生活

むかし見た風景が今はすっかり変わってしまって、寂しい気持ちになるのはよくあることだが、なかには、もう二度と見ることのできない風景があり、記憶の中で変わらずに存在し続けるものもある。

教室の窓から

中学二年の頃、たぶん初夏ぐらいで、開け放たれた教室の窓から見えた鈴懸の樹が葉をキラキラさせながら、風にそよいでいた。
何の授業だったかは、もう覚えていない。私の席は窓際の前から5番目くらいで、ふと見たその光景があまりにも綺麗でぼんやりと眺めていた。
わが母校は木造二階建ての校舎で「地震が起こっても揺り返しで元に戻る。」と古文の先生が冗談を言うほどオンボロだった。
まわりをアカシアの樹に囲まれて、海を臨む校庭のすぐ下には自衛隊の基地があった。
冬には雪が積もって真っ白な校庭に白鳥が降りてくることがあり、放課後に給食のパンをあげる人もいた。(先生方は野生動物に餌付けをしてはいけないと言っていたが、ある時TVの取材が来て、校長先生や理科の先生だったうちの担任までが、白鳥達にパンをやっていた。おい。)
やがて、老朽化のため校舎を移転、新築することになり古い校舎は取り壊されてしまった。
そして私達は新しい校舎まで、自分の机と椅子を手で持ち、およそ1㎞の道のりを徒歩で運ぶという過酷な運命に出会うこととなる。(誰も文句も言わず黙々と運んでいたが、今だったらPTAが黙っちゃいないだろう。)
それから、新しい校舎へ通う道の途中でたまに旧校舎後の前を通ることがあったが、すっかり更地になったその場所にすでにない窓を思い、あの美しい光景を思い出した。

祖母の家の窓から

私が住んでいる町は坂道が多く、祖母の家も坂道の途中にあった。
小さな頃、祖母の家で育った私は、薪で焚くお風呂も仏壇のある部屋も縁側も好きだったが、茶の間の窓が一番好きだった。
それは少し変わった造りで、窓の幅いっぱいの小さな押入れの上に、木枠の窓ガラスが付いた出窓のようになっていて、体重の軽い子供にはすぐに登れる楽しい場所だった。
当時、祖母が飼っていた二匹の猫と一緒に、そこに乗って日向ぼっこをするのも好きだった。
窓から見えるブドウ棚やイチジクの木から好きなだけ取って食べ、海を眺めながら父の乗る艦の姿を探したりしていた。
猫達も、大好きだった祖母もいまはなく、家も取り壊された。
あの窓も無くなってしまったが、あの頃の風景は記憶の中にあざやかに残っている。

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