一番古い地震の記憶
十勝沖地震 1968年 5月 16日 午前9時48分頃発生 震度5
私が4才頃のこと、友達の家で靴かくし鬼をして遊んでいた私は隠された自分の靴を探しながら、鬼役の友達に見つからないように、その家の中を歩き回っていた。
すると、突然家全体がグラグラと揺れだし、怖くなった私ははだしのまま二軒下の祖母の家まで泣きながら駆け下って行った。祖母の家の中では壁にかかっていたモナリザの絵が描かれた日めくりカレンダーが左右に大きく揺れていたのを覚えている。
私があまりにも泣くので、祖母が私の母に「宇津救命丸」を飲ませろと言ったことも覚えている。
そのあと、靴を取りに行ったかどうかは覚えていない。おそらく母が取りに行ったのだろうと思う。
昔は災害の時に避難所へ逃げるとか、緊急持出袋とかの概念がなかったし、なにかあっても家の近所でオロオロするしかなかったように思う。
当時、海上自衛官だった父は出港すると何か月も不在で、まだ若かった母は幼い私とともに実家に身を寄せていたので、不安だったと思う。
二十歳の頃
日本海中部地震 1983年 5月26日 午前11時59分頃発生 震度5
高校を卒業し地元を離れ、専門学校に進学していた私はその地震のニュースを仙台で知った。公衆電話で実家へかけた電話は通じず、家で何かあったのではないかと心配になり、時間をおいて何度もかけ直した。やっと繋がった電話の向こうで「え?地震?家は大丈夫だけど。」とこちらの力が抜けるほど普通に話す母の声...「いや、何もないならいいけど。」と言って切ったけど、本当に心配したよ。
そして月日は流れ...
東日本大震災 2011年 3月 11日 午後2時 46分頃発生 震度7
結婚し長男が生まれ、親子三人の地元暮し。
その日私とダンナは職場で、長男は小学校であの地震を体験した。
うちの場合は幸いにも何の被害もなく、家族全員無事だった。停電のため夜はローソク、情報はラジオからしか入手出来なかったので、数日後電気が通ってからTVでニュースを見た時は、恐ろしい災害の被害に震えるほどの衝撃を受けた。
余震が続く中、親子三人川の字で寝ている部屋の窓の下に三人分の長靴を用意して(三月とはいえ、まだ雪が積もっていたため)いつでも逃げられるようにしていた。
停電はしていたけど、ガスも水道も普通に使えたので、温かいものが食べられたし、仕事にも通えていたので、あまり大変だった記憶がない。
停電も子供の頃はよくあったし、野菜や牛乳・ヨーグルトなどが輸送の問題で入荷せず手に入りにくかったことや、外食でファミレスのメニューが限られていたり、ラーメン屋でもやしが入っていなくても誰も文句を言わず、ご飯を食べられることをありがたいと思っていた様に思う。
TVが見れるようになってからは、ずっと恐ろしく悲しいニュースばかりで辛かった。
あれから10年が過ぎ、たまに地震があると家族が今どこにいるかを考え、ケータイやTVで情報を確認することが習慣になった。
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