2021-07

ヒゲなし猫の生活

窓の風景

教室の窓から むかし見た風景が今はすっかり変わってしまって寂しい気持ちになるのはよくあることだが、なかには、もう二度とみることのできない風景があり、記憶の中で変わらずに存在し続けるものもある。中学二年の頃、たぶん初夏ぐらいで、開け放たれた教室の窓から
ヒゲなし猫の生活

本にまつわる話

本を捨てられない理由 私には変な癖があって、一度読んだ本の一節をふと思い出すと「確かあの本の一文だったはず。」とその本を再読し、目当ての文章を見つけると「あぁ、やっぱりあった!」と思い満足するという、我ながらアホなことをしている。記憶の断片が頭をよぎった時
ヒゲなし猫の生活

薄桜鬼という沼にハマる

乙女ゲームにハマったきっかけ もう10年以上前、ケータイの動画サイトで見たアニメから始まった私の薄桜鬼ヲタ道。以前から新選組に興味はあったけど、あえて手を出してこなかった私が乙女ゲームにハマり、新選組に全く何の思い入れもないダンナと息子を引き連れて
ヒゲなし猫の生活

HM/HRにハマったわけ

始まりはオリビア まず、洋楽に親しみはじめたのは中学生の頃で、生まれて初めて買ったアルバムがオリビア・ニュートンジョンの「詩小説」という邦題だったと思う。そのあとからアバを聞いたり、クイーンを聞いたりベイシティローラーズやレイフ・ギャレット
ヒゲなし猫の生活

幻の映画を求めて

子供の頃TVで見た映画ののこと 昔は映画をみるといえばTVの方が多かった気がする。うちの両親は映画好きだったらしく、恋愛ものや戦友もの、怪獣もの、ドラキュラ映画から東映怪談シリーズなどなどジャンルを問わず、まだ幼かった私も一緒に見ていた記憶がある。
ヒゲなし猫の生活

大地震の記憶

私が4才頃のこと、友達の家で靴かくし鬼をして遊んでいた私は隠された自分の靴を探しながら、鬼役の友達に見つからないようにその家の中を歩き回っていた。すると、突然家全体がグラグラと揺れだし、怖くなった私ははだしのまま二軒下の祖母の家まで泣きながら駆け下って行った。
ヒゲなし猫の生活

下北弁のこと

祖母は近所のおばあちゃんの事を苗字や名前ではなく「まさや」と呼んでいた。「柾屋」という屋号らしい、昔は屋根を葺く家業だったのか?当時私はまだ4~5才の子供で 大人の話を聞きかじっていただけなので、よくは知らない。下北弁は津軽弁よりは南部弁に近いが